氷見でオーケストラを! と旗を立て…、雌伏の一年
2023年3月21日、春分の日。
ああ、あれからもう一年近くになるのか、と、小生、長い息を吐く(これをものしているのは、2024年3月の頭のことです)。
一方で、ここまでに至る途上、様々なことがあり(この「交響する氷見」プロジェクトに於いてだけでなく、農民としての時間に於いても、それ以外の時間に於いても)、あの日のことは、なんだか、前世のような心持ちがします。
東京の友人である指揮者・中島章博氏を氷見まで呼び立て(来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう)、地元の仲間たちにも多勢足を運んでもらって、氷見でオーケストラ楽団を立ち上げたいと気炎を吐きました。希望を、まづ起こしたわけです。
はじめは、演奏仲間が見つからず、随分と苦労しました。氷見はブラスバンドの文化が盛んで、管楽器奏者は多いものの、弦楽器奏者は実に少ないのです。氷見の芸術文化館で演奏会を開催しようと思っていましたが、ピボットしました。演奏者が居ないのでは、仕方がない。
まずは小さく始めること、そして、誰に幸せを届けるかを考えること
当初の道筋とは少しばかり変わったけれど、この2024年の春、ささやかながら演奏会が開催できそうなところまで、一歩一歩、進んでこれました。舞台は、廃校となった中山間地域の元小学校です。実に、「交響する氷見」っぽいじゃありませんか。
本当に、お陰様です。
むしろ、最初から、人が集まらなくってよかったのだ。そんな風に、今では心から思っています。
誰に、音を届けるのか。
誰と、音を響かせるのか。
2024年になって、能登半島地震も起きました。
時々刻々、世界・世間から与えられる変数は移ろい、その都度、最適解も移ろう。自身の中にある内的なもの(動機だとか好みだとか何だとか)も、もちろん、移ろう。
だから、有り体に云って、小生には、最適解(と云われるものが本当に存在するならば、そう云ったもの)を掴み取る自信なんて、ありません。そんな器用さは、残念ながら、小生には搭載されていないのです。
だから、シンプルに、今、心が喜ぶ方向へと進んでいくことに、集中することにしました。
ただ願わくば、小生ひとりだけでなく、みんなで一緒に喜べますように。
キックオフからの一年前を振り返りつつ、簡単ながら、ものす。
ようたろ、拝。
追記:キックオフ後の交流会は、「移り住みたくなる宿 イミグレ」でやりました
プロジェクトの火を灯す場所として、こんなに適した場所もない、とて。
オーナーの松木佳太くんには、本当にいつもお世話になりっぱなしです。この日も、随分とサービスしてもらっちゃいました。
そんなイミグレも、令和6年能登半島地震に大きく影響を受けたものと想像。
「交響する氷見」としては、利用させてもらうことで、こういった仲間たちの事業に対しても、わずかなりとも背中押しをしていけたらよいなと思っています。
イミグレの客室から眺められる美しい景色のように、氷見が、能登が、きらびやかに交響しますように!